「将来何したいですか?」

 

0導入

 

 

「将来何したいですか?」

 

 

 

この質問、人生で死ぬほど聞かれませんか?

 

 

夢を持て、と・・・・・・・

 

 

多分、人生で名前の次に聞かれてます。(私調べ)

 

 

私は、

幼稚園の頃はベル(鳴る方じゃなくてプリンセス)

小学生の時はアナウンサー

中学生の時はテレビ局で働くこと

高校生の時はテレビ局で働くこと

大学生初期はテレビ局で働くこと

 

 

今すぐベルになりたい

 

 

なんか、どんどん夢って小さくなってきますよね、

 

 

何でもなりたいものになれるってそんなことはなくて、やっぱり特殊なものほど小さいころからやっていないとダメだったりするし、

例えば成人式出てから子役にはなれないし、体操選手って比較的子供のころからやっていないとなんか難しい感じがするし、

その時に出会えなかったら知る由もないことだらけだから、やっぱり難しいことはあると思うんです。

 

 

だからって夢がより一般化してくるのは私は嫌だとは思わなくて

 

まあなるべき人が何らかの縁でなるんだろうなって思うからです。

 

ジャニーズJr.になる人は、その人の生きる道の上にそことの接点があったんでしょう、

 

ヤクルトを売る人はJr.になるんじゃなくて、ヤクルトさんになる何かしら縁があったんでしょう、

 

いつかそれを辞めたとしても、辞めたということは自分にそれは合わないことだったのかもしれない、だから結局それになる道じゃなかったんでしょう、

 

 

まあ、知らんけど。

 

 

(後天的にかすかに宿らせた関西の魂)

 

 

 

人によりますけど、

 

 

私はなんかそういう

 

'めぐり合わせ'

 

を信じている節があります。

 

 

なんか、人って出会うべき時に出会うんですよ、人にもモノにも。

 

 

皆さんは推しはどうやって出会いました?

 

たまたま現場で原石発見?

 

テレビにいた?

 

今ならYouTube

 

めっちゃインスタに出てくる?著作権放棄みたいに

 

 

 

思い起こすと、私は、

数年ぶりに重岡君のことをふと調べたからですかね。

 

そういえばあのドラマの・・・って

 

でもなんでそのドラマ見てたかって全然思いだせなくて

 

 

なんかめぐり合わせなんです。

 

 

しかも、

私の気が落ちている時に励ますように、

スキに付け込むように、(優しい顔した悪いお兄さんたちです‼)

 

 

 

あー、好きdeath!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

話戻。

 

で、ここで何が言いたかったかというと、

 

 

私は自分の軸を持ったうえで、流されて生きていきたいんです。

 

 

流される、っていうと意思なく周りに左右されて・・・ってなるけど、

 

私は自分の中の大きな比較的抽象的な軸の下生活して、

 

そこでたまたま  'めぐり合わせ'  で私の人生軸にぶつかってきた、人なりものなり何なりに巻き込まれて生きたい。

 

そういうかんじです。

 

 

 

ひとつの軸=目標に対して、アプローチ方法って数えられないほどあるから、今すぐ一つにしぼるのは私には難しい。

 

逆にいえば、その軸=目標のためなら何でもやってみたい。

 

しかも、今ない方法がいつか出てくるかもしれないし、その時それに出会ったらやってみたいじゃないですか。

 

しかも、それって今すぐやりたいかって言われたら、別にそうでもなくて、

しかるべき時が来たら、やりたい。

 

 

大きめに構えることにしました。

 

 

ふと、あ、やってみようかな、のその繰り返しでいたいなぁ~ってことです。

 

 

実用的な話に落とし込むと

 

私は、

👓「ウチで何したいの?」

👩「XXの部署でYYYを使ってこれを達成したいです!」

 

みたいな具体的な答えをしなきゃいけない呪縛にとらわれていたけど、

 

別にそうじゃなくていいんじゃない?って言ってもらえたので、

 

 

「これのために、あれもやってみたいし、これもやってみたい、また違うものに出会ったらその時はその信念の下やりたいことが変わるかもしれない」

 

 

そんな風に言えたらいいかな。

 

 

 

ジャニーズWESTは彼ら全員及びそれぞれの信念=目標=軸の下、

 

アルミ衣装を着て、肩パット原色カラースーツを着て、時に500円のTシャツを着て、

 

歌って、踊って、コントして、言葉通り干潟で泥まみれになって、虫食べて、作詞して作曲して、コンサート演出作り上げて、毎日ブログ書いて、ラジオやって、地面はいつくばって、試験を受けて、舞台やって、ドラマやって、クイズ答えて、頭に植え付ける商法の曲かと思えば突然かっこいい曲やりだして・・・

 

 

彼らもなんでもやってきたわけですから、

私もなんでも食べて味見してみようかな、

最後に納得できればいいよね。

 

 

以上、「導入」という言葉を理解しない人の「導入」でした。

 

 

1その軸がみつからん

 

 

次はその軸とやらを探します。

 

 

多分、普段感情を持っている人間なら、

言葉になっていなかったり、潜在化しているから見えていなかったりするだけで

軸はある気がします。

 

 

潜在化して見えない、というのは、

眼鏡をかけながら眼鏡を探しちゃうラッキーこと木村こすものお父さんみたいな状況でして、

 

(ラッキー:本名は木村こすも コラショの持ち主 キッズ 本名:井上きずなの友達)

 

眼鏡(潜在化されたもの)を通して周りを見るわけですから、そりゃ眼鏡自体は見えないですよね。

 

 

軸はその人が大切にしていること、問題だと思うこと、に繋がっている気がします。

 

 

ここで日常で、

「HA???????」「WHY WORLD PEOPLE!!??」

って思うことを考えてみたいと思います。

 

 

 

私はざっと思いつくのだと・・・

・電車とエレベーターの乗降順守れない人

・匿名メッセージで悪口に値するものを送る人

・公の場で公の立場ででかい主語を使うエライ人とそこで笑う人

・自分と違う文化を変なの~っていう人

・小学生の時勉強してたら、かわいそうって言ってくる人

・なんでも数値化しようとしてくる人

 

 

 

思いつきました??

 

 

 

あとはこの辺を分析していけばよさそう

 

・電車とエレベーターの乗降順守れない人

・匿名メッセージで悪口に値するものを送る人

 

この2つは、最低限の相手への思いやり、とか、世間の規律、とかそういうところですね。

 

 

・公の場で公の立場ででかい主語を使うエライ人とそこで笑う人

・自分と違う文化を変なの~っていう人

・小学生の時勉強してたら、かわいそうって言ってくる人

 

この3つは、価値観を押し付けるということに対する嫌悪感ですかね

 

1つ目は記憶に新しいニュースですし、2つ目は中学生くらいから言語や文化に興味をもった時から感じている違和感ですし、3つ目は私が受験をするってなったときにそういう声を聞いて子どもながら嫌だって思った記憶からですし、おすし🍣。

 

 

・なんでも数値化しようとしてくる人

 

最後の一つは、一番気づくまで時間がかかったというか、ふたをして見なかった・知らなかったように扱ってきた、潜在化したところでした。

 

結論から言うと、数字で評価するのが好きじゃないです。

 

というか、私が物事を捉えて、考えて、喜んだり悲しんだり、とかく記憶に残るのは数字じゃないんです。

 

私の中では、自分が強く心を動かされたり、自分の中で満足できていればそれがいいんです。

 

もちろん、部活の大会で全国1位になったときはすごくうれしかった。

あれは、本当の真の1位でしたからね。

 

でも、それより、最後の1音のロングトーンが切れた瞬間の、あの一生忘れない空気感・一体感たるや。

 

それ以降、まあそれに匹敵する成績は残せなかったわけですが、それを超えるくらいの達成感や思い出はいくらでもあります。

 

正直、何年生のどの大会が何位だったとかほとんど記憶になくて。

 

でも高2の時のNコンで最高の演奏を出来たことは一生忘れない気持ちで。

 

初めて、演奏が自分たちの手中にあった経験でした。結果はズタボロだった気がするけど、そんなことより、自分たちから生まれた作品という初めての感覚を味わえた。

 

結果はデータで残るけど、この気持ちは誰かに代用され得ないし、奪われない。

 

 

 

 

 

 

はたまた、自分の学歴?を振り返ると思うんですよ、今日も言われました

 

「ゴリゴリですね」

 

って。

 

(その方も同じような境遇の方でした)

 

あの、いわゆる、優等生タイプ(自分で言う。)です。

 

氷山の一角タイプです。

 

 

勉強って、それこそ、受験って数字じゃないですか。

 

ずっと数字の世界にいて、そこで頑張ってきたのに、数字で評価されるの嫌なんですか、って。

 

結論、数字は後からついてくるものでした。

 

私は常に昨日の自分に負けたら恥ずかしいなっていうおもいがあるから日々頑張ることもあったりした。

 

部活も一緒、いい演奏ができた、勉強なら、自分が納得いくように頑張った、そしたら同時に結果もついてきた、ハッピー!みたいな。

 

 

数字は手段であって、目的じゃない。(私にとっては。)

 

 

そして、数字に残らないところに、大切なことが眠っている。

 

 

確かに数字は裏切りませんし、定量的なものですから、それを励みに頑張れることは素晴らしいと思います。その価値観も大切。

 

 

でも私はそれを追いかけるだけというのには非常に心地悪さを感じる。

 

 

なんで今こんな社会になっているのか。

 

 

そんなの、資本主義だからやんけェ!!!!

 

 

重岡君「お前16けェ!????」

 

 

みたいな気持ち。知らんけど。

 

それで、

 

「なんか数字にこだわるの嫌です。」

 

って言えない=蓋をしてきたのは、これをいったら絶対働かせてくれなさそうだから。

 

 

ここで働かせてください!!!!(私のトラウマ:千と千尋の神隠し)

 

 

逆に言えば、

収益グラフが右肩上がり大成長していることだけが貴社のアイデンティティですか?魅力ですか?

 

っていう。初手でそのカード切ってくるんかい!ていう。

 

それを好む人もいるし、それが悪いとかだめとかじゃない、

でも、私はそれは嫌だなぁっていう話です。

 

 

 

数字じゃなくて、もっと個性とかそれこそ理念とか、潜在的にあるものに惹かれたい気がする。

 

あ~この話するの苦しかったなぁ

 

話それるけど、

 

私は、普段言語化してないけど深く考えていることを口に出すと涙が止まらなくなることがあって

 

今日も初対面の方前に大号泣を決めてしまった、でもおかげで以降はもう口に出せる気がする

 

 

ここからどんな軸が見えてくるかと言うと・・・

 

先入観、偏見を変えたい

→人の自覚のない「当たり前」に気づきをあたえることがしたい

私は数値化されない人の感情を大切にして、そこに訴えていきたい

 

 

軸って、自分の中心の価値観って、自覚がないからこそ、潜在化しているからこそ、絶対にあるのに見つからないですよね、不思議。

 

私はようやく、「人・大人とたくさん話す」ことでそれをようやく打破しようとしています。

 

もっと前からやれよ!!!!!!!

 

って話ですが、私がそれに今気づいたのもそういう'めぐり合わせ'だと思っているので何も後悔はないですね、常に自分がその時一番いいと思ったこと(あとから考えたら最善でなくても)をしているので。満足、満足、一本満足バー!!

 

 

 

2もっと具体化する

 

 

軸であげた、先入観・偏見

 

特に何が気になるかというと、正直全部気になります。

 

特にいうなれば、ジェンダーですかね。

 

自分の境遇もあって考えることが多い。

 

あとは文化の違いとか。国外から働きに来てくれている方々へ、とか。

 

そういうのを変えたい。

 

変えるためには、私はまず多くの人が認知することが大切だと思う。

 

なぜなら、私たちの多くは偏見で語ってやろう、差別上等!って思っているわけじゃないことが多いから。でも無自覚に発せられる言葉ほど人を傷つけたりする。

 

私もまたいろんなことを通して、多くのことに気づきたい・・・

あまりにも見ている世界が狭いのはわかっているので・・・

 

 

 

 

そこで

最初にぱっと浮かんだのは、なんか机上の空論ぽいし、なんか国際機関臭がすごい。という自分の考えに対する印象。

 

でも国際機関じゃないんだよな、もっと実務的に少しづつで良いから自分の手で携わっていきたい。国際機関だとでかすぎる、ぼやける。

 

じゃあ何しよう。民間だな。

 

そして、日本で育って、ここに問題はまだまだ山積しているからこの国のために働きたい。

 

そして淳太君のしばらく住むであろうこの国に貢献して、淳太君に貢献したい。

私は淳太君が納てくださった税金で勉強させていただいた身なので(国立)、今度は私も税金納めて、互いに支えあいたい。人という字は人と人とが支えあってますからね…。おおおこの国で働きた!!

 

 

まず、

私は、有形商材よりも無形商材にたずさわりたい、無形と言うかヒトか。

 

私は私自身が信頼されて(=任せよう!って思われる)いたいので、モノのよさよりも自分の厚みで売っていきたい

 

なので、人材か教育やりたい。

 

人材と教育の違いは何か。

 

それは、アプローチ層の違い?

 

人材→社会人層。影響力も人数も大きい・多いので短期的な視点で意識改革が図れる。さらに、社会をつくる層が変わることで、社会の流れが変わり、新しい世代が入ってくるのに備えられる。(備えられる?)

教育→長期的な視点での意識改革。言い方は悪いが、もう形成されてしまったところは

あきらめて、新しい流れを作る。

 

私は、社会が変わらなければ、それに応じて教育が変わると思えない(なぜなら、教育に関わるのもその社会人層だから)し、上の層を諦めようとは思えないので教育も面白いけど、人材をやりたいかもしれない。

 

「多くの人に意識してもらう、知ってもらうことが大切だ。」

 

だったら、意外と大きい会社の方が目的達成まで近道かもしれない。

多くの人に関われるから。

 

ここからは企業によりますが、

法人営業?個人営業?みたいな問題では

多くの人のインパクターズになるには、影響をあたえるには、企業に影響を与えて、その中の人間に伝播させていくのが早いかもしれない。

 

 

 

3未来って意外と考えらえるのかもしれない

 

今日の昼間、苦手だった未来の話、頑張ってきました。

 

 

これは、同級生じゃなくて、未来の誰かとか、未来の自分にアドバイスするんだけど(その時には絶対黒歴史で無理無理無理やっぱ無理)、

 

まじで人に思い切って頼った方がいい

 

 

私はたぶん人より人に頼るのが苦手で、そういう人も多いと思うけど、

世界にはなんで!??ってくらいボランタリーに溢れている人がいるから大丈夫

 

 

何の経験も見識もない自分独りで考えるなんて行き詰まるだけですし、話していると突然思いだしたり口からふと出たりしますし、おすし🍣。

 

 

 

 

 

 

 

しかしそれでも私は

 

 

 

ジャニーズJr.になりたい。

 

 

ココだけの話結構プロフィール決まってるんですよ。

 

 

おおきにボーイズっていうユニット組むんですけど・・・

ダンスはあんまり得意じゃないけど、こだわり強めに、でもおおざっぱで、

ロングコート似合うってファンがSNSでざわついてくれるんです

 

 

うちわを!!!!!!!!!!!!!!

振ってくれ!!!!!!!!!!!!!!!

強火担募集!!!!!!!!!!!!!!!!

担降り厳禁!!!!!!!!!!!!!!!!!

タンミノ換金!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

換金金言!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

以上!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいとこ探し

0導入

 

(BGM :『間違っちゃいない。』 ) Cut IN

 

本日は曲を聴きながらかくのでBGMを記載しますね

 

はてブロが最強の自己分析ツールになると気づき、乱用する次第です。

 

いつか自分が振り返ることができるし、もしかしてもしかしたら誰かのためになるかもしれない(大概そんなことはないので安心したい所存)

 

今日はいいところ探しをします。

私は弱点に目をつむりたくなる弱い人間なので、いいところを探します。

 

強みは弱みの裏返し、弱みは強みの裏返し。

 

どっちの側面から探ったって、結局どちらも見つかるんです。得意な方から探せばいいんです。

 

 

1いいところ探し ~主観編~ (BGM : 『雪に願いを』) 

 

長所って、自分で思うやつと、人から言われるやつがあるじゃないですか。

 

とりあえず自分視点からやります。

 

(みんなに  それは違う!!!!!!!!! と特大心中ツッコミされるかもしれない)

 

 

(((自分でやるの鬼恥ず)))

 

 

①コツコツ熱中して頑張れるタイプ(狭く深く型)

②人前にでるのが苦じゃない、まとめ役やりがち

③自分の意見を割と言える

④誰とでもうまくやっていける

⑤価値観を押し付けない、先入観偏見差別に強い吐き気(ここはオタクの時とまっとうな人間してる時でもちろん使い分けますし、エンタメとして消費する脳は持ち合わせてます、あとで言い訳させて)

 

 

①コツコツ熱中して頑張れるタイプ(狭く深く型)

 

ひとつのことを始めると息が長いがち。

 

一度熱中したら、地縛霊並みに住み着く。

 

これは趣味から分かることで、前のブログに書いたような、激重の愛ささげたりしている。

だからWESTの沼にはまったのももう自主的に抜け出さない覚悟で入ってます。抜け出せない沼だけど、抜け出したくないし、抜け出そうとも思わないし、むしろ入浴してる。

 

「沼に入浴。」

 

 

 

(BGM : 『ANS』)

 

 

 

 

ところで、皆さんは自分を家電に例えると、なんだと思いますか。

 

 

 

thinking time......

 

 

 

 

私は冷蔵庫です。

そうだなあ、トースターや電子レンジ、ましてや、エアコンでもなくて、冷蔵庫だと思っていて。

 

どういうことかと言うと、トースターや電子レンジって一時的にものすごい力を発揮して、「短期集中決戦型」な家電だと思うんです。

エアコンはもう少し長く稼働しますね。でも、とても寒い時、とても暑い時、など期間限定で動きます。

 

それに比べて、冷蔵庫ね。

爆発的な力を発揮すること(そういう機能もあるけど)はあまりないけれど、ずっと動いている。

 

仕事量の式にするなれば、  仕事量を100とします

 

電子レンジ 100=25(/s)×4(s)

冷蔵庫   100= 5(/s)×20(s) 

 

みたいなね。知らんけど。

 

 

私はこういう頑張り方しかできないんだな。

両者に優劣は一ミリもないけど、適性がなにかしらあるだけでしょう。(適性を教えてくれ、まじで)

 

あとは語学やってるのも結構印象的らしい。これはまた客観編にぶち込む。

 

 

ただ、この特性って、全然通用しないんですよ。

頑張るのは当たり前だし(当たり前だって思われる)、特性にならない。

 

 

なんっでなん!?(心の中の照史くんが叫んでる)

 

 

②人前にでるのが苦じゃない、まとめ役やりがち

 

昔から学級委員任されがちだし、

 

 

 

【緊急速報】

今、ツアーが発表されましたrainboWツアー、めまいがしました無理です無理ですあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

そう、学級委員任されがちだし、中高部活では部長をやったし、前に立つことが失敗体験から始まってないから苦じゃないんだと思う

 

あとは人の意見をいい感じに集約していくことが苦手ではないかなあ

 

ただ、私は話し合いの結論を出す中で、誰かを置いて行ってしまうことがすごく嫌で、(私はみんなで横並び一列で頑張りたい、リーダーは前に出るだけじゃない、そう思わせてくれたのは中3の時の関東大会前の事件があったからだし、横並び一列にこだわってきたジャニーズWESTがだから好きなのかもしれない。)でもそれがマイナスに働くのは決断をしないといけないとき。

 

決断力のなさ。

決断するときに人の意見をくみ取りすぎて決断を下せなくて、そこで他人任せになってしまったりする。

だから、正直リーダーは向いてないなって思う時がある、誰かの意見は必ずどこかでくみ取られなくなってしまう、そこを納得させられるような論理力があればよいのだけれども…。

 

 

③自分の意見を割と言える

 

人の意見は必ず聞くけれど、自分の意見は言います。

むしろ自分の意見を潤滑油にして促すみたいなところはあるかもしれない

 

あとは、これは割と憧れの要素と小さい頃の環境っていう要素が大きくて。

 

憧れの点だと、私が例の彼女(前回ブログ参照)を尊敬しているのが自分の意見を発信する勇気があるっていう点で。

私は多くの人が見ないようなブログやらTwitterやらで思いを叫んでいるけれど、それを数千万、下手したら数億の人間の目の中でやっているんだから勇気があるし、自信があってかっこいいと思った。

日本で(最近は変わってきたけれど根強いものとして)タレントが政治的発言をすることって避けられてきたと思うんだけど、もちろんそれが私にとっては当たり前だった。

でも、初めて彼女を知ってから、アメリカでは違うんだ!???って驚いたし、まあどちらが良い悪いとは本当に思わないんだけど、でも表明できることは少なくとも凛としていてかっこよかった。

 

小さい頃の環境という点では、両親ともにズバッという(特に母親、私より口調がきついが本人にその自覚がなさそうor気をつけていてもキツイ)性格があるので、必然的に私もそうなっていった。

 

だから、言い方だけ気を付けないとなって気持ち。

 

うんうん、いい感じ

 

④誰とでもうまくやっていける

 

これは小学生の時に母親に言われたことが印象的で、

 

「いっつもトラブルメーカーとなかよくしてたけど、トラブルに巻き込まれたことないよね」

 

こう言われて、ああ確かに思い返せばみんなよく先生に召集されてたな…と。

 

たぶん、それっぽいこというのが得意なんでしょうか。

 

中1の時は、宿泊合宿の部屋決めで

「ぽこちゃんは、どっち派なの!??」

って言われましたね。特に仲のいい人はいたけれど、いろんな人と場面に応じて平たく付き合っていたので、(部活はこっち、勉強の時はあの人、みたいな)、どこの部屋に入るんだ?ってなったんでしょうね。

その後、勝手に部屋を決めるな!みたいな中学生女子らしいトラブルがクラスに起こりましたが

 

 

大学のサークルでも大きなトラブルなく終わっていった…。

 

なんか、いつもトラブルに見舞われている人がすごくうらやましい時があって。

トラブルに巻き込まれると、人って精神的に疲弊するから、周りが無駄に心配するじゃないですか。皆が手を差し伸べて、大丈夫?大丈夫?って、輪の中心になるじゃないですか。

で、立ち直ったかと思えばまた別のトラブルに巻き込まれて、またそれを繰り返す…

 

本人は辛いだろうし、それはわかっているんだけど、

良くないけど半ば、うらやましいとさえ思った気がする

 

でも私は繊細にはなれないし、メンタル強い方だし、性質的にその、 しんみり くよくよできなくて

 

なんかあまりにも人間関係のトラブルに巻き込まれなくて、私は存在してるけど人畜無害みたいな、そんな存在感になっている気がして便利に使われている気がして嫌だったなあ、などと思い出す。(なんかメンヘラちっくでいやだ)

 

 

 

ここで私の弱点、良くない所があって、

「責任転嫁大臣」

なんですよね…。

 

失敗したとき、

自責ばかりするのも良くないことだけど、

他責ばかり、良くないですね非常に。私です。

 

なんか、うまくいかないこと、いやなこと、全部心の中で自分を正当化することでメンタルを強く保っている節があるから、

 

精神安定の反転、自分とそりが合わないものに限りなく反発してしまう

 

 

これは極論ですが、私を落とす試験、全部試験が悪いと思っている。(最悪)

 

ちゃんと自分の悪いところにも目を向けないといけない。

 

世間だと、自分を責めすぎてしまう人の方がたくさんいて、それで苦しんでいる人が多く見えるけれど、その逆もあるし、どれも一長一短だってことは、いっちょ前に、いっちおう(一応)、伝えておきたい。

 

 

 

⑤価値観を押し付けない、先入観偏見差別に強い吐き気

 

(ここはオタクの時とまっとうな人間してる時でもちろん使い分けますし、エンタメとして消費する脳は持ち合わせてます、あとで言い訳させて)

 

言い訳・・・アイドルは、偶像(idol)という言葉が語源ですし、それをエンタメとして楽しむときは、変な詮索、愚察をせずに表面上に浮かび上がっているパブリックイメージを拾い集めて楽しむのは全然楽しみ方の一つです。

 

いい具体例が思い浮かばなくておたく失格かもしれない

 

 

まあともかく、予防線ははったところで、価値観を押し付けないっていうことは大切だと思います。

 

価値観は、その人にとっての「当たり前」の基準だと思っているので、

相手の「当たり前」を受け入れる…受け入れなくてもいいか、

否定しない、変なものだって排他的思考で片づけない、

ということが私にとっては大切かなあ。

 

 

「世界は多様化してきた。」

 

この言葉めちゃくちゃ気持ち悪くないですか??

 

 

世界は太古の昔より多様だったはずで。

 

バベルの塔が崩壊したから?なのかもしれないけど、少なくとも言葉があったってことは、いろんな思考回路の人がいて、意思疎通が必要だったってことだと思うんです。

 

やっと世界が自分の「当たり前」に当てはまらないものを、「あり得るかも…」って認識してきただけなのでは?

 

見えるようになってきた、見るようになってきた、見ることができるだけの体力を持っただけなのでは…でもまだそれを十分に受け止めきれる受容体を完全に持ち合わせていない。その過渡期にあるような、そんな感覚である。

 

 

(話ちょっと逸れます)

で、面白いのが、

 

私のことを知っていて、このブログに目を通す人はたぶん、こういう考えを普段からしている人が学問系統上、多い気がするんだけど、

 

この間とある別の界隈の友人がこういう話をしたら、メタ世界に住んでるみたいだね、って言われたらしくて。

 

あ~~~~確かに~~~~~~~~~~~

 

抽象度の高い話大好きだし、結論を出そうと話しているというよりは、様々な考え方ものの見方を愉しむために話し合ってるみたいなところあるし、分かりみがマリアナ海溝より深し。

 

だから、少なくとも私は、マネタイズに興味がなくて、お金になるのに抵抗はないけど、お金にすることに興味がない。

 

「精神こそ豊かであれ。」

 

の世界の住民過ぎた。

 

 

ずいぶんとユタカに暮らしてしまったものだ……

 

 

 

 

ここでの弱点は、さっきのとつながって、「決断力の弱さ」。

 

 

どれも否定できなくて、決定打が打てない。(日本語大丈夫?あってる?)

 

改善するにはどうしたらいいかな。

 

相手の意向を箇条書きして、書き出して、弁図みたいにすればいいのか。

 

重なる部分を核にして。

 

そのあとはみ出た部分について話し合って、一つずつ弁図の重なる部分に収めていく。

 

正7角形を正15角形にして、どんどんそれを重ねて、円に近づけていけばいいのか。

 

 

そうすると、やっぱり、チーム戦の時にとっさに決断を下すっていうのはおそらく向いてないんだろうな。

 

その時の選択の適当さを上げていくために、誰一人おいて行かずに戦うためには、私はたぶん時間がかかるんだ。

 

なるほどね…。自己分析進み中。

 

そういうチームで働くには、あまりにも我が強い人よりも和気あいあいとした気性の穏やかな人が多いところがいいなあ。でもみんないい人ぶってくるんだよなぁ。

 

ワンレンのお姉さんよりも、ちょっと芋っぽい(失礼!!!!!!!!!)人の方が落ち着きそうだな、(そんなことは分析するまでもなく知っていた)

 

 

2いいとこ探し ~客観編~

 

(BGM : 『人生は素晴らしい』) Cut  IN

 

♪心のパズルはじけ散って 深夜の帰り疲れきって・・・

 

♪人生は素晴らしい 誰よりも誇らしい 一つ一つ諦めずにためらわずに行け!

 

 

 

さあ長くなってまいりました!

 

 

客観編は、よく言っていただけることを考えようと思います。

いつもみんなありがとう。私はとにかく一にも百にも、友達が大好きなんです。

 

友達の定義とかそんなことは知らないけど、友達!!って思ったその瞬間から友達なので友達が大好きなんです。(世界で一番ロジックにかけた文章。)

 

でもロジックがない方が人の感情って揺さぶられますよね。

この間ラジオで重岡君が

「自分はいつも結局泣き落としみたいになってしまう」

って言っていたのが印象的で。

 

「この仕事してなかったら、何してたんやろ、と言うより、何ができたんやろ」

 

とも言っていて。

 

すごく熱くて、その熱さはエンタメの世界を生きるのには不可欠で、最大の武器で、磨き上げられてきたものだけれど、反対に世界中で普遍のロジックには落とし込めないものだったのかもしれない。感情は数式にはならないから。

 

確かにその熱さだけでは、彼らのよく言う「オトナ」を動かせないこともあるんだろうなって。結局数字を伴う根拠がないと、確たる証拠がないといけないらしいので。もどかしいですね。CD販促隊は間違っちゃいないのよね。

 

感情をマネタイズ。嗚呼、資本主義。

 

話戻。

 

よく言ってもらえること

①努力家(主観の①と同じ)

①’はきはきしてる

②言葉が面白い、独特の抽象化

③ロジカル

 

①努力家

 

英語が好きで、別に周りのみんなより、世間の人よりできるかって言われたら、本当にそんなことなくて、あれなんだけど

とにかく好きでそれをやっていて、大学でもそのまま語学やりたいって受験して、フランス語やって、全然喋れないまま一か月だけホームステイしたりして、

サボってること山のようにあるけど、でも私の頑張っている風なところだけみてくれいるのかなとも思うけれど、でもいろんな人に言われるっていうのはいい事なのかな

 

①’はきはきしてる

 

これは入れていいのか分からないけど、最近初対面の人ほぼ必ず全員に言われるから、書いておく。

 

一分間の自己紹介で何人かに言われたからそうなんだと思う。

 

だから一次は、現場ウケはいいんだけどなぁ。(遠い目)

 

 

②言葉が面白い、独特の抽象化

 

これ、今活かしたい

 

言葉が面白い、どこから引っ張ってきてるか分からない

 

これはどのフェーズの知り合いにも言われる

 

 

・人の話を聞いてうまい事まとめる

・相手の思考回路を整理整頓していく

 

…………カウンセラー

 

相手の意図をくみ取ることが世界で一番苦手で、だからこそ、いつも注意して、頑張ってやってきたんだけど、こう書くと、要旨を捉える能力があるみたいだ。

 

 

コラムニストになりたい。

 

 

でも私は小心者だから、採算のとれる、計画性のあることしかできない気がするからいわゆる水商売はできない気がする

 

 

え、自分の可能性を信じろ的なそれなのか??????

 

 

私の文章はおそらく、感情押し出し寄り切り型と論理型が並立しているんだろうなって思う。

 

③ロジカル

 

これは大学入ってからの友達に言われる。

 

悪く言われるときは、「ド正論マシーン」。

 

 

言葉をやっているときも、もちろん感覚で喋っていることも多々あるけれど、無意識のうちにロジカルに喋っているらしい。

 

でも、習いたて∧母語じゃない 言葉って、文法から入るからロジカルに行くしかありえなくないか?とも思うんですが、それはあくまで私の価値観なので・・

 

 

友人曰く、

文法説明がいつも腑に落ちる!

らしく。

 

 

あとは、

大学受験で気づかぬうちにロジカル思考は鍛えられたと思っていて、

 

ここに受かりたい→何点足りない→各教科X点は上げたい→この強化のこの分野での失点が多い→この問題集のココをやろう→模試を受ける→また分析する・・・

 

みたいなPDCAサイクルを勝手に回していたことと、

 

ひとつの目標を因数分解していく、というその作業を身につけられた。

 

 

夏合宿で言われた、「ド正論マシーン」。

 

 

淳太君も昔、「言っていることが正しすぎるから、何か言うときは誰かに頼んだりした方がいい」って言われたことがあるみたいで、担タレ♡とか思ったりしてみたい。

 

 

人が悩んでいるときに、

正論をぶちかましすぎるんだって。

 

 

多分、私自身が何かを乗り越えたり、頑張らなきゃいけないときに、

ある種真面目なところがあって、それが正論を呼び起こしているんだろうなって思う。

 

例えば、レポート終わんない!!に対して、

2.3日前に提出を求められたわけじゃないんだから、前々からやっておけばいいじゃん!

みたいな

(ヤバい、めちゃくちゃ嫌な奴で自分と友達するのマジ無理じゃん)

 

私がレポートやんなきゃって思うときは、切羽詰まるの嫌いだし、さっさと手を付けなきゃ!っていう思考回路だからですね。

 

 

ああ、完全にあの発言は価値観押し付け野郎ですね、こころで思うのは仕方のない事、声にするのはよくなかった。

 

こういうこともあって、気を付けるようにしているんです。

あからさまにセンセーショナルな話題じゃないときに自分がいかに気を付けられるか、が勝負

 

 

ロジックにかなわないことも、人間である以上大切にしないといけませんね。

 

 

(重岡君・・・)

 

 

でも論理的思考はきっと今回の試練いおいては役に立つはずです。

 

 

 

 

 

3収束

 

とりあえず、箇条書きにはできた!!!!!

 

これを基にいろんな人と話をして、使えそうな、私っぽいものを、私のIDになりそうなやつを、見つけて今月中に形にするぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

頑張れ私、頑張ろうみんな、頑張れ世界!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

ジャニーズWESTがまた横に並んで応援してくれるはず

 

 

まじで虹かけようぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1

 

 

(ライティング・ハイ)

 

 

昨日は本当に素敵な虹がかかったみたいで。

 

 

我は、我々は、❛RAINBOW CHASER❜ 

 

 

次は、たぶんだけど、未来志向編かも!!!!(勝手にやります☺)

 

 

 

(BGM : WA!WA!ワンダフル‼)  Fade OUT

 

 

私と「推し」

0導入

 

駄文、長文、とりあえず書き残してみよう。自己分析と銘打って…。

誰かに見せる用、と言うよりは壮大な書き残しみたいなものになる(予定)。

 

 

何処に需要が、という疑問を言い出したら、世の中のもの大抵需要はないし、また、同様にすべてに需要はあるので、いったんそれはナンセンスな問いとします。

 

 

先日苦心の末、芥川賞受賞作品「推し、燃ゆ」を読みました。(全然売ってない)

(注若干のネタバレを含みます) 

推しを押すことが生きるすべてで、自分の背骨のようだと感じる女の子のその推しが暴行沙汰で炎上。詳細は明かされていないものの心に障がいをもつ彼女は、推しという存在を介して社会との接点を持ち社会生活を営んでいた。しかし炎上をきっかけに(一般)人となってしまったその人を推すすべはもうなく、途方に暮れ、生きることへの活力を失っていく…。

 

そんな話ですよね?

言い訳させてください。

 

私は、国語が苦手です

 

中学生の時、模試の物語文で登場人物が亡くなったことに気づけず失点したことに始まり、誰が誰を好きみたいなのも読めなかったし、文学嫌いなんですよね…比喩とかいらないんで、具体的に端的にお願いしたい。(最悪)

なので、あらすじの解釈違ったらごめんなさい。陳謝。

 

そして本題です。

私は、その「生きるということは…」という主題には畏れ多いので触れず、「推し」という点に着目してみたいんです。

 

 

この本を読んだら、「自分にとって推しとは」みたいな言わば身辺整理をしたくなりました。

あとはかなりこの本と境遇が重なるところとかあって驚いたり、分かりみが山よりも高く海よりも深かった。

 

 

1私のファン遍歴

 

初めて芸能人を好きになったのは小学五年生くらいのAKB48篠田麻里子さんでした。謎解きバラエティのTORE!みたいな番組(調べないまま書き出してすみません)に出ていて、一目惚れしたのを覚えています。じゃんけん大会で優勝したときは塾の壁に頭をぶつけのは忘れません。

 

でもそれは小学生のしていた「好き」であって、まあ幼稚園の時に好きだった人いたな~あれが初恋かな~と同じ感覚です。語弊を恐れず投げ捨てる言い方をすると、おままごとでした。

 

さあ、運命が変わるのは小学校六年生の終わりごろでしょうか。EテレiCarly視聴者だった私はそのまま次期のvicTORIousを観るわけですね。多分妹がたまたま観ていて一緒に観ていた気がします。

 

その時に出会ったのが今では世界トップクラスのセレブリティ Ariana Grandeになります。

当時は栗色の地毛を高頻度で真っ赤に染めて、細かいカーリーヘアがトレードマークの超天然な変わり者の高校生Cat Valentineを演じていました。今よりも年頃の女の子らしく健康的な体つきをしていて、ダウンヘア。主人公でもなかった。

 

 

でも私にはほかの誰よりも彼女が私の視界に、脳裏に住み着きました。

 

ドラマは芸術高校が舞台なので、当然歌うシーンが数多く。

 

歌声を聞いた私は、主人公が一番歌の才能を秘めている…という設定なのに、そうは思えず。(もちろん主人公役の方も歌が素敵で、今でも聞きます。まっすぐ届く声です。)

 

 

その時に見たヤフー知恵袋今でも忘れません。

 

 

「トリ―(主人公)よりもキャットのほうが歌がうまい気がするんですが、どう思いますか。」

 

 

こんな質問でした。

 

 

震えました…。私だけじゃなかった、っていう…。

 

 

当時、ガラケーユーザーだった私は、家のタブレットで写真を調べて、それをガラケーで撮影することで写真を入手していました。

 

 

だから必死に名前を入れて検索するんです。

ビクトリアス、VICTORIOUS、キャット、キャット・バレンタイン、Cat、Cat Valentine

…………等々

 

 

もちろん、アリアナグランデ、Ariana Grandeもやりました。当時、日本語の記事で引っかかったのは2、3ページだったと思います。

画像検索も目新しいものは入ってこず。

 

 

ガラケーの待ち受けにしていた写真は、当時(中1、2)はよく「誰?」って聞かれました。

今じゃ皆知った顔してるのにね。笑

 

 

 

さあ、ここがわたしの激重拗らせの第一楽章の始まりです。

 

 

 

 

 

薄々気づかれている方もいるかもしれませんが、鬼の同担拒否の気持ち、そして「好き」ということに対するハードルの高さたるや…

 

彼女の家族、幼馴染、パフォーマンス仲間(なかまって打つと中間になるマイPC)以外、彼女のファンを、彼女を「好きだ」と公言するのが許せないんですよね。

恥ずかしながら現在も治っておりませんが。

 

そして、「好き」と公言することに対するハードルは、マリアナ海溝がすっぽり中に入るほどであります。

 

 

 

話を戻します。

 

 

vicTORIousを観ながら、小学生ぽこぽこは鬼検索の末、まだ彼女がCDを出していないことを知っていました。

 

 

運命が動き出します。

 

 

中学一年生の夏ごろでした。

 

原宿・竹下通りを抜けたところにあるお店(今はなきforever21かその横にあったH&M、どっちか忘れる痛恨のミス)に行きました。2階の窓側の洋服を見ていた時、聞き覚えのある「Baby」の発音を耳にしました。

 

この発音、絶対知ってる―――――――

 

ハッとしたけど、

え…CD出してないよな。でも発音が彼女のそれだったよな…。

 

脳内をそれに占有されながら電車に揺られ帰宅。しかし、タイトルはわからないので、鬼検索再始動。

 

 

その末、見つけ出したのが運命の一曲「Baby I」でした。

 

 

1stアルバム「Yours Truly」の収録曲。トラックナンバー2。2013年8月30日リリース。

 

 

本当に出会えてよかった。あの時あのフロアにいなかったら、気づいていなかったら、あのドラマを見ていなかったら。

 

私はたぶん語学に興味なんて持たなかっただろうし、今こうして良い環境に身を置くことができていなかっただろうし、今の交友関係ももちろんなかっただろうな、とそう心から思うもはや人生の岐路にかかった一曲なんです。

 

 

どうして語学とかと関係するのか、なんで語学学習または習得または、それに触れることに意味があると私が考えるのか、は話が脱線するのでまた今度。

 

 

発音で気づいたというのも我ながら好きポイントですね。

 

さあ、こんな運命的に出会ってしまったらそれが最後。拗らせを急加速させます。

 

周りは誰も、彼女どころか洋楽にも興味を示さなかったので、共有する相手はおらず、それがいつからか、共有したくないものに。

「好き」が自分の中でどんどん高まって、高尚になりすぎたというか。

 

 

最近は、「好きだ」ということを表すのに、「尊い」とか「無理」とかいろいろ使われますし、私もそれしか言いません。

 

 

でも、私の10年弱の彼女に対する心の奥底から湧き出る感情を表すのには「好きだ」というのが一周回って、いや何周も回りすぎてもう分からないけど、一番ピッタリくるんです。

 

純粋に好きで、好きで、好きで。

 

 

英語で言うと、adore だと自分では思っています。「好き」にもっと尊敬の気持ちが加わって、やはり、それよりも高尚な印象を受けるからです。

 

 

話がそれますが、こういう風に言語化したのはここ最近です。

 

これまではひとに共有したくない、知られたくない存在だったからです。

 

(シンプルに、①知名度が上がってほしくない②私も好き~とか言われたら縛り上げちゃう)

 

 

それから、これはちょっと先ほどの語学と関わってきますが、CD購入のこだわりがあって。

 

「日本版は基本買わない。」

 

彼女にとっちゃ、迷惑な話です本当に。日本でも活躍できるように買えって話です。

 

 

これは、日本での知名度を上げたくない、ではなく。

日本版買うと、勝手に歌詞の対訳をつけてくるんですよ!!!!!!!!

頼んでないのに!!!!!!!!(それはそう。)

 

「訳する」っていう行為は、結局、翻訳した人が咀嚼するってことだと思うんです。

誰かによって咀嚼、解釈されて、彼女の生の言葉じゃなくなったメッセージ。

翻訳者のフィルターにかけられて、その人の目線からそのメッセージを読まざるを得なくなる。

カメラや映像媒体が受け取りての視点を恣意的に決定固定してしまうのと私にとっては同じ感じがします。私には。

 

私と彼女との1on1の対話、唯一そこでだけ可能なその会話を妨げないでほしい。

 

その気持ちが日本版を買わなくさせています。

 

 

さあそこで。

 

彼女と対話するのに圧倒的に必要なもの。

 

 

英語力。

 

 

中学一年生。

 

be動詞を使った自己紹介と、相手の体調を聞くことしかできません。

 

ただ、英文法の全貌もわからないので、ぽこぽこ選手、チャレンジします。

 

 

彼女の歌、自力全訳。

 

 

まずは先ほどのYours Trulyではなく、EテレvicTORIousの劇中歌CDをアメリカから輸入しておりましたので、そこから取り掛かりました。

 

 

父親が持って帰ってくる会社の大量の裏紙に歌詞を書いては紙辞書を引き、訳す。

 

 

あ、もちろん歌詞をネットで調べる時は「(英語で曲名) lyrics」です。じゃないと、日本語サイトが引っ掛かり、訳してくれちゃうので。

 

現在完了ってなんじゃ!!!!!!!!!!!!!と中1ぽこが叫んだことは覚えてます。

 

その後、Yours Trulyに入ってからは、リングノートを買って手書きで相変わらずやっていました。

 

 

話すと全部の曲に思い出があるので枚挙にいとまがないので、泣く泣くカット。

 

 

 

 

 

 

まあ、こんなかんじで、彼女はまさに私の背骨に、DNAに、アイデンティティになっていきました。

 

 

つまり、私にとって「好き」って言えるのって、このくらいのことなんです。

 

 

それは自分にとっても、人にとっても。

 

 

もちろん、最初はTwitterInstagramの英語を読み解くのも苦労したし、そこで彼女によって発信される、ジェンダーの問題や人種(この言葉がもう嫌いだけど)問題なんかにもすごく興味を持つようになりました。彼女のメンタリティも考え方も。

 

 

だから、私の見る世界もその世界の見方も全部全部、彼女が私にもたらしてくれたもので。

 

それは、アイデンティティでしょうか。背骨でしょうか。何なんでしょうか。

 

私はよく、「私は彼女の信者だ」と言ったりしますが。

 

 

 

とかく、私の中には、彼女の精神が住んでいます。

 

彼女はアメリカ社会で育って、その文化で価値観で生きて、彼女の友達は私の生きる世界にはいないし、でもそんな薄っぺらい部分じゃなくて、

 

彼女の

 

「人間を超精密ろ過装置にかけたときに残る、人間の最たるエッセンスの部分」

 

みたいなものが私の中にあって。

 

言葉にしづらいし、区切りがあって数えられるものでもないし、でも確実に、私という存在の基盤を作っているんです。

 

 

私という人間ケースを機種変しても変わらない部分。

 

 

多分それがアイデンティティってやつだとは思うんですけど。

 

 

自分にとっての 当たり前 がきっとアイデンティティですよね…?

 

あまりにも抽象的な言葉だから使い勝手はよくて、でもとても人を困らせる言葉ですよね…

 

あなたが、ひとが、そこに存在している、ということすらアイデンティティになると思うし、時とばで変化しうる七変化なもの

 

例えば、電車に乗っているときなら、この両の進行方向右側の端の席に座っているという事実すらその場所においてはアイデンティティだと思います。

 

その人のID、その人をその人たらしめる証明書みたいな…。

 

 

話が大逸れしました。    Twitterでそんな話をみたもので…

 

 

2彼女は「推し」なのか

 

 

淳太君が全然出てこないというクレームは受け付けません

 

 

皆さんの「推し」ってどんな人ですか。

 

応援している人、好きな人(芸能人などの)、と「推し」は別項ですか?

 

これは、ずっとみんなに聞いてみたかったことです。実は。

 

 

私は、好きな人と推しは別です。

 

 

先ほどから登場する彼女は私の好きな人、好きなアーティスト。

お待たせしました、ジャニーズWEST 中間淳太君は推しです、今のところ。

 

 

いくつか理由はあります。

 

 

まずは、比較的論理的で、自分にとって新しい自論から参ります。

 

ー「推し」という言葉は、日本語圏文化に適応される感じがするからです。

 

最近はNHKさんでも推しとかヲタカツみたいな単語取り上げて若者を虎視眈々、狙ってますけど、すごく、俗語ですよね。

 

日本語特有のこの表現は、その日本語圏でもたらされた、そこで育まれた文化にとっておきたい雰囲気があります。

 

だから例えば、JKT48とか海外ですけど、秋元さんの作った日本の女性アイドル文化ですから使いたい気がします。

 

(感じる、とか気がする、とか使ってて全然論理的じゃない)

 

だから私は、彼女は「推し」に括りたくないんです。


 

>余談

私が「彼女」って呼ぶのは、お名前があまりにも尊くて畏怖の念を感じて発せないためです。ここ2年くらいで治ってきましたが、それまでは(ファン公開していなかったので機会もなかったけれど)名前を口から発声しようとすると口が震えて、何度か涙が込み上げてきたこともありました。その名残です。お許しください。

 

 

ー「推し」って推さなくなる可能性を示唆する気がする

 

私の言葉に対するイメージなので、そんなことない人が多数だと思います。

 

個人的な語感の話。

 

 

 

「推す」って、ある不特定多数の集団のなかから、特定のものを押し上げて、または、摘まみ上げて見やすくして観察する、っていう印象です。

 

 

 

だから、もし、その人を下から持ち上げる手を休めたら、周りの不特定多数と頭の高さが同じになって、今まで見えていた首やら腰やらましてや足元(推していても見えることは希少だと思いますが)なんて見えなくなってしまうんです。

 

 

 

でも、私がもし彼女を応援するのを辞めたとして、彼女が見えなくなること、彼女が関係していない世界を観ることがあるのかなって。

 

 

 

重複するけれど、今見ている世界は彼女が見せてくれている部分が大半です。

 

だから、「推し」っていう域を軽く超越しているような気がしてならないのでございます。

 

きっと、人間形成の大切な時期に彼女と関わったっていうのも大きいとは思います。

 

 

 

でも、人は出会うべき時に出会います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっとフラットに「茶の間」できる体質なら、違ったんだろうなぁ~

もっと簡単に好きになって推しにして楽しめたかなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上大きく分けて2点が私にとっての「推し」であり、「推す」ということです。

 

 

 

 

 

 

 

3淳太君は「推し」……だと思う

 

 

淳太君は私的「推し」要素を満たしていそうです。

 

本当は「好き」にしたいけど、さすがにそこまで言える口じゃなかった…

 

 

それこそデビュー前からずっと応援していて、彼にたくさん感化されて影響をうけてきた人ってたくさんいると思うんです。魅力的な人だと浅っっっっっっっい私ですら思うんだから…。

 

 

好きは時間じゃない。歴なんて数字だ。

 

 

それもすごく分かる。

 

 

同様に、

 

 

歴は大切だ。

 

 

これも痛いほどわかる。

 

時間という人類がどんなに欲しても人より多くもらうことができない魔法のようなもの…。

 

 

あとからは取り返せない。どんなに当時の映像や音楽を集めたって、同じ時を共有したことにはできない。

 

 

私が新規であり、古参であるから、痛いほどわかる。

 

 

まあ、結局上下関係なんてないし、よく言われる通り、

 

新規がいるから古参は応援し続けられる。古参がいるから新規は出会える。

 

これにつきます。マウントダメ、ゼッタイ。

 

 

 

マウントのコツは、「私鬼古参だから!!!!!!!!」とむしろ高らかに叫ぶこと。ナチュラルに、私の方が知ってんぜ?感を出すのが悪い。(善悪に持ち込むのはよくないですね。)

 

 

 

だから、淳太君は私の大切な尊敬する「推し」です。

 

出会うべきときに出会えました。

 

決して推さなくなるつもりがあるわけではないことは断言します。

 

 

私の「好意を向ける」は既知の通り激重なので。

 

一度好きになったら、相当離れない自信があります。

 

 

またちょっと話が逸れまして、

 

私の好きになるという感情はちょっと怖かったりします。

 

あまりにも猪突猛進で。

 

 

何だろう、その人の言うこと全てが「正」になっちゃうんです。

 

猪突猛進ならぬ、猪突猛

 

 

法に触れたらアカンと思います。さすがに。

 

私の脳の中の法律では、彼女が憲法であり法律、条例です。

 

 

良くないと思いながらも、でも私は何があっても彼女を信じます。

犯罪を肯定するとかではなく、人とその人の成すことは別で、彼女という人、彼女の「アイデンティティ」を私は信じます。

 

 

 

 

 

「推し」の淳太君に話を戻します。

 

 

 

情報番組で言ったことに賛否両論がつくのは何とも思いません。

 

私は、自分の意見を発信できる人が好きです。尊敬しています。

 

だから、むしろそれに賛否両論つくなら本望かもしれない。

 

 

 

 

でも、もし、わたしの「推し」が人を殴って、そうじゃなくても犯罪をして、燃えたらどうする?

 

 

犯罪と人を切り離して、「あなたのアイデンティティを信頼しています。」って言えるのでしょうか…。

 

 

 

「そもそも彼はそんなことはしないよ!」

 

 

 

そんなことは百も承知、知ってる。知ってる。分かってる。当たり前。

 

 

早く、もっと、たくさん、知りたい。

 

 

私のこの不安がかき消されるように、かき消せるように、生の言葉がもっと欲しい。

 

でも、彼女よりよっぽどたくさん身の回りにあふれているのになぁ。

 

 

言語の問題か?

 

 

母語が共通だから言語的に解析できないのが悔しいくらいだ…。

 

 

数年前は英語が母語ならよかった、って泣いたくせにね…

 

 

 

 

 

でもとにかく、すべての出会いに私は満足しているし、彼女に出会った時期も、淳太君に出会った時期もどれも怖いくらい適正で、とにかく私は温かい気持ちでいっぱいです。